2010年05月12日

【大阪特派員】鹿間孝一 大和川を「まほろば」に(産経新聞)

 古代エジプトのナイル川、中国の長江(揚子江)・黄河、インダス川…洋の東西を問わず、大河は文明を生み、都市を育て、人々に恵みをもたらしてくれる。まことに川は偉大だ。

 大和川は奈良県桜井市の北東にある標高822メートルの貝ケ平山付近を源流に、奈良盆地、大阪平野の支流を集め、大阪市と堺市の境界線で大阪湾に流れ込む全長68キロの1級河川である。

 川はその流れが肥沃(ひよく)な土壌を運んでくれる一方で、堆積(たいせき)した土砂が洪水・氾濫(はんらん)を招く。だから古来、治水は時の為政者にとって最大の課題であった。

 大和川も古くは仁徳天皇が日本で初めてといわれる流路の付け替えと築堤工事を行ったのをはじめ、平安時代には和気清麻呂が、そして豊臣秀吉らが大がかりな治水工事を繰り返し、江戸時代にようやく今の流れになったのである。

 大阪に「堀」や「堤」のついた地名が多いのも、こうした治水工事に由来する。歴史を振り返れば、大和川と北を流れる淀川が八百八橋と呼ばれる大阪をつくり、繁栄の土台となったことがわかる。

 で、現在の大和川はというと、水質を示すBOD値(生物化学的酸素要求量)が全国の1級河川でもワーストの常連で、汚れた川の代表になって久しい。

 経済発展に伴って流域の人口が急増し、大量の生活排水が流れ込むようになった。工場などからの産業廃水も大きな要因である。が、なにより人々が川に無関心になったことが最大の理由ではないだろうか。

 かつて家の近くを流れる川は、生活の場、憩いの場、子供たちの遊び場として身近な存在だった。それが護岸はほとんどコンクリートで固められて水辺は遠くなり、上を天井のように高速道路が走る。都会では地下に埋設された人工の水路が取って代わり、川があったことさえうかがえないところも少なくない。

 古事記に「大和は国のまほろば」とある。「まほろば」とは「すばらしい場所」という意味。語呂合わせではないが、大和川をまほろばに、とかつての清流を取り戻すために大和川再生協議会が設立されたのは10年前である。

 協議会の呼びかけ人の一人で大阪地区の代表幹事を務める東武さんは「昔の大和川は魚もエビもたくさん捕れた。今では魚の棲(す)めない川になってしまったが、きれいな水を取り戻し、魚と人間が元気に共生できる川にしたい」と語る。

 定期的に川の清掃や葦(あし)原保全のための葦刈りを行っており、毎年5月末にはシジミの稚貝を放流する。そうした活動のかいあって、平成20年のBOD値は3・7まで改善し、ついにワースト1を脱した。

 ユニークな試みもある。桜井市に本店のある大和信用金庫では、BOD値の改善によって最高1%の金利を上乗せする「大和川定期預金」を18年から始めた。これまでに約80億円の預金を集め、初年度で2千万円、3年目、4年目に4千万円の上乗せ金利を負担している。郡山尚専務理事は「CSR(企業の社会的責任)活動として取り組んでおり、ほかにも川を豊かにする山林の育成事業、子供たちの源流体験ツアーなども行っています」と話す。

 河口に堆積する土砂も大きな問題だが、大阪ベントナイト事業協同組合の浜野廣美代表理事は「世界的な景気低迷で建設汚泥のリサイクルが困難になっており、さらに海砂の採取場所も激減している。河口の土砂はこれらにかわって活用すべき公共資材です。採算のとれるコストで掘削、再生できないかと考えている」と言う。

 都会に暮らす人々にとって、川は数少ない身近な自然である。川の再生は生活環境の改善につながる。

 大和川を歩いてみた。まだ清流とは言い難いが、川底がかすかに透けて見え、魚の群れが泳いでいた。(しかま こういち)

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posted by イタバシ マサヒロ at 01:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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